とりまメモ.txt


R18: メモ LOG


ふてほど最終回に成田さん(男闘呼組)が出ていらして、姉が男闘呼組ファンで、男闘呼組の曲や語りを聞いて育ったので、姉はクドカンファンでもあったので、さぞやヤバい声出てたのではと思いをはせるw
まだサイトに収納できてないVガン同人誌を描いてた頃は某同時多発テロがあった時期とか、自分も中学で広島、高校で沖縄のガマ入ってきたりした後だったから無茶苦茶、戦争と平和について考えていた時期で。
男闘呼組に「みはり」という戦争にかかわる(と、思われる)歌があるのですが、姉にお願いしてダビングして「みはり」一曲リピートしながら原稿やってました。
今は戦死あるアニメ(漫画や小説なら大丈夫、音声がつらい…)が見れなくなった&ストーリーで「挫折を乗り越える 」みたいな描写を病気してから描けなくなり(自分が挫折を乗り越えられなかった)、今は描けないことを描いてる昔の自分にはかなり悔しさを感じたりしながは読み返す。
逆に当時の自分が出来てなかった事を今の自分ができついたかというと、んなことは雀の涙もなく。

この話の着地点ないな。

衰えながらも切磋琢磨できることはしたいが、失敗が多くて大人になると増えることだけど、我武者羅に未来は自分で切り開くと力もないのに、馬鹿やってる過去の自分の作品は馬鹿なりに今の自分には出来ないことを一応やってはいるから「何も持ってない恥知らずが」と、過去の自分を恥ずかしく思うが。
それでもなんもやらない努力しない今の自分よりは、やるにはやっていたのだから、悔しい。
過去の自分の作品が残ってなければこう思うこともなかったから、残せたのはラッキーだったと思う。

10年後の自分が「何もわかってない馬鹿が」と、同じかそれ以上に恥ずかしがる自分になれているように、匍匐前進でいいから前に進みたい。
いまから10年前も同じ感じだったから、時の流れは早いし人生の半分以下なのに未成年の思い出は影響力あるなと思う。
たかだか10年ちょいしか生きてないやつが、色々考えて生きてはいたのだから自分にしては頑張れていたなぁと思う。
おわれ。畳む